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2012年10月20日

さぁ、能動態ムだ

最近、こうしてブログで文章を書くようになっていますが、私が文章を書く時に少しだけ気を使っていることがあります。
それは、「私」を主語にすること、つまり、能動態で書くことです。


能動態と受動態。日本に住んでいる人がこの言葉を認識するのは、おそらく中学三年生の頃です。そう、英語の授業でbe動詞+過去分詞で受動態を表すということを習うときです。
受動態とは、My brother likes a cat.を、A cat is liked by my brother.とするような文法です。
中学生の頃、なんでこんな言い回しをするんだろう、と不思議に思っていたのですが、受動態は英語において主語を曖昧にしたい時に使われると聞きました。
例えば、The dice is thrown.だったら、誰が投げたかは曖昧でよくて、投げられたサイコロに注目しろ、というメッセージとして解釈すればいいらしいです。中学生的な文章の書き換えで「by 人」をつける訓練を受けた記憶がありますが、実用英語の点から考えると、この訓練はあまり意味のないものなのかな、と感じています。

そして、日本語では、英語よりもさらに曖昧にしたい表現が多くあります。そもそも、英語では必ず主語を明らかにしていかなければならないのですが、日本語では主語は省略される傾向にあります。


例えば、次の文章の主語はなんでしょう?



「スマイルプリキュアの中ではキュアビューティが好きです。」




これの主語は……「キュアビューティが」……ではないですね。
述語が「好きです」となるので、好きですと考える主体が主語となります。そのため、主語は省略された「私は」になります。
こうして、日常的に主語が省略される日本語において、さらに受動態にして主体をわかりにくくしているのが、いわゆる論文の分野です。
例えば、「こういった言い回しが日本語では多く見られる。これは日本人が主語を曖昧にし、言葉を柔らかくするために使用していると考えられる。」というような表現です。


確かに、私も統計同人ではよく使っています。いました。
「〜というように考えられる」や「〜と推測される」という表現、多く使ってしまいました。
もちろん、文脈から判断して、それ以外にない、という場合はあるとは思っていますが、でも、受動態の文章は読者が主語を補わなければならないので、わかりにくい部分が大きくなると感じています。
それに、自分を主語としていないので、意識的・無意識的な責任逃れ、という部分もあるでしょう。「私が考えたんじゃないですよ?データから考えられるでしょう?」というところもあるでしょう。


統計同人は「ゆるめの統計エンターテイメント」を自称しているため、もっと読みやすく、もっとわかりやすくを心がけていきたいと思っています。そのためには、統計数字的な部分のみに注力するのではなく、日本語表現についても改めていきたいと思っています。


「自分語」を減らしたり、説明するようにしたりもそうですし、主語を明らかにしていくこと、主張の脱線などが無いようにしていくことも自分の中での課題だと思っています。良くも悪くも「ノリ」で文章を書いてしまう癖があり、まだまだ練られていない表現が多くあります。


そのためにも、まずはこうして、能動態で文章を書こう、と意識しています。うまくいかないこともあるかもしれませんが、努力宣言だけはしておきます。
よろしくお願いします。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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