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2012年10月19日

バベルの塔に住んでいる超能力少年

こんにちは。コミニケーションとか言われるともにょもにょする翠です。
今日はカタカナ語をはじめとした「自分語」の話。

カタカナ語を会話の中に織り交ぜて、それについて「え、なに、そんな言葉も知らないの?」という顔をしてくる人が苦手です。
ノマドワーキングとか、ソーシャルコミュニケーションとかミーシーとかフィッシュボーンとかランチェスターストラテジーとか……確かにビジネス書にはよく出てきますけど、それを「常識」であるかのように振る舞うのは、知識を自慢しているようでいて、会話力のなさを露呈しているようなものだと思っています。

こういった自分勝手な言葉の使い方は困りますね。
ただ、自覚的に自慢している人はまだいいと思います。指摘すれば話し合いに持ち込むことは可能ですし。
それ以上に無自覚のうちに「自分用語」で話している人の対処は大変です。それが他人の耳に入ったときにどう聞こえるのか、どういう理解をされるのかについて考えていない、というパターンが困ります。

例えば、うちの営業さんはよく「顧客に顔を売れ!」と言っています。確かに「顔を売る」は「広く世間に知られる」という意味なので、文脈的には理解できます。でも私の言語感覚からするとズレている気がします。
つまり、顔以外に売る商品があるだろうと。確かに信頼関係を築く一歩として認知してもらうのはいいんですが、どうも「売る」という言葉にコミュニケーションの深さを感じられず、むしろ安売りしている感覚、浅く広くのイメージがあるのですよ。
一度、そのことを営業さんに聞いてみても「……そうかなー?ずっとこれだから違和感ないわー」とつれない反応でしたが。とりあえず、私が顧客だったら、商品を「売る」と言われても微妙な気分になるのに、顔なんて売られたくない!と思うよ、ということだけ伝えておきました。

つまり、言葉というのは受け取り手のことを常に考えていかないといけない道具だということを主張したいのです。それには言葉が伝わるもの、という前提を持たない方がいいと思っています。要するに、言葉は伝わらないという前提にたち、伝わっていたとしても、それは伝わっているという勘違いか、良くてもたまたま偶然の産物である、という考えを持つ、ということです。
だから、同じことを何度も言い換えて、比喩を使い、具体例を使い、要約し……という形で多方面のことにわかってもらおうとしなければならないと思っています。
ホント、中学生くらいの時分には現代文の課題で「なんで筆者は同じこと何度も言ってるんだめんどくせ」と思っていましたが、主張は具体例や言い換えなどがあって初めて理解してもらえるものばかりだということは、文章を書くようになってから痛感したことですね。日本の国語教育は、「筆者の気持ち」とかどうでもいいので、自らの主張をするたの言い換えの技術なんかをしっかり教えるべきだと思います。

話を戻しまして。

バベルの塔で統一言語を失って、言葉が伝わらないのは、当然!と思うことにして、他人に説明をするときには、言葉を尽くしましょう、という話ですね。
私にも無自覚のうちに使ってしまっている文章の癖やら、他人と理解を共有していない語法があると思います。

例えば「脱ぎかけがエロい」という主張をしていますが、何を持って脱ぎかけとするのか、エロいとはどういうことなのか、定義しつつ他人と共有していかないと、本当に伝わったか心配になります。
今でも十分に伝わっているかというと不安になるので、何度も何度も何度も繰り返していくことで不安を薄めようと必死なのです。

そういった意味で、ずっと不安でいたくないから、「伝わった」ということにしてしまうのでしょう。
何かを語るときに、一度、「これは自分語ではないか」と不安になり、その不安と戦いながら言葉を繰っていければと思います。
みなさまもぜひ、一緒に不安になりましょう。

……と言いつつ、この記事自体がだいぶ自分語で書かれていないか不安に思いつつ。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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