2012年10月31日

さぁて、来月もソーシャル、ソーシャルぅ!

2012年10月24日のスク水ニュース
(すくぅうみうぎ さん)
私情命令/私刑執行人(こんぷれいんつ・ぶろぐ さん)

最近の更新を色々と取り上げてもらっております。
もしかしたら、他にも知りあげてもらっているかもしれませんが、とりあえず軽く補足した分だけ。

継続は力なり、といいますが、こうして一ヶ月、とりあえず続けることができるのは、こうして反応をいただけるというのは大きいと思っています。ツイッターなどでも反応頂けて、非常にやりやすいなぁ、と思っておりますし。

こうして考えていくと、ソーシャルゲームが流行る理由がわかります。「誰かのため」という理由は、人間の中でも根本的な欲求につながっているからこそ、そこを刺激されると続けてしまうのでしょうね。
誰かを助けたいから、ということと、誰かに自慢したいから、ということは承認欲求から派生する感情でしょう。

個人的には、全ての人が継続して文章を書く、自分の意見を発表する場を作れれば平和になる、わかりあえるとは思っています。そのためには、文章を継続して書く必要があると思うのです。
そして、継続のための仕組みのようなもののひとつに、こうした承認欲求はあるのだと思います。

つまり、誰かに認められることで、継続しようという意識が生まれてくるのかもしれません。
とりあえず、まだしばらくは毎日更新を続けて、どうして続けられるのか、ということを言語化してみたいですね。

今日は簡単にこの辺りで。またあした。
posted by 牧田 翠 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月30日

時間がなくないかもしれなくない

ブログをまた更新しようと思ったきっかけに、自分の言葉の使い方に対して、もっと敏感になろうというものがありました。

今日考えたのが、言い訳として「時間がない」という言葉は使わないようにしようというものでした。
時間は無い、というのは非常に便利な言い訳だと思います。どんな時でも使えるので、思わず頼ってしまうのですが、逆に言えば、その言葉に頼って言葉が貧相になる言葉でもあります。
そもそも、時間がないといっても、本当に使える時間はゼロではないことが多いです。もちろん忙しくて、なかなか時間が作れないということよくあるとは思いますが、自由な時間が0かと言うと、そういった事はなかなか少ないと思っています。
だから、正確に言えば時間はないのではないと考えています。時間を作らない、もしくは時間を作りたくないという言葉を使うべきだと思います。

最近、 アニメを見る「時間がない」のですが、自分が心に正直になって考えてみると、そこまで見たいアニメがない、というのも大きな理由だと思っています。今までどこかで義務のようになってしまっていて、話題の作品だけはみようとか、人気作品を見ようとか、私はそんな邪な考えでアニメを見ていることが多かったような気がします。
今期は、そういったことをやめました。自分の見たいものだけを見ようと、本当に必要なことだけをしようと。
その結果自分の生活の中にアニメ見る時間というのが最近なくなっています。だからこれは時間がない、のではなく、時間を作っていない、だけなのです。

でも、どうしても言い訳をしたくなって、時間がないと言ってしまうこともよくあります。どこかで、時間がないだから許してほしいというメッセージを発信しているような気がしています。そういった、どこか無責任な言葉遣いに、もっと自分自身、敏感になりたいと思います。

ちょっとがんばってみます。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

形態素解析とは

統計屋っぽいことも時には。
統計とは言っても、「統計エンターテイメント」としてわかりやすくしていきますが。

今回、冬コミの新刊予定は「ラノベ統計・形態素解析編」です。ではこの形態素解析とはなんなのかということを簡単に説明してみましょう。

分野文章を機械的に分析するときに、日本語は英語に比べて難しいところがあります。
英語は単語ごとにスペースが入るので、辞書がなくともここからここまでが単語だ、と言い切ることができます。対して日本語では、助詞・助動詞がつながったり、名詞動詞が切れ目無く続いたりと、機械的に分析するのは難しくなってきます。これを分析できる要素……つまり形態素まで分ける必要があります。

で、実はこの形態素に分けること自体は、研究が進んでいるため、不可能ではなくなっています。しかもいまや無料で……より正確に言えばオープンソースで利用できます。
Mecab(めかぶ)やttmといったソフトがそれです。

これを用いて、どんな単語が多く出現しているか、文章の係り受けはどうなっているのかを分析するのが形態素解析です。


実はまだ、その分析対象となるテキスト(ラノベのテキストデータ)を用意できていないので、仮定の話で申し訳ないのですがおつきあいください。

例えば、Aというラノベは「彼女がどうのこうのと騒いでいるので俺の日常はうんぬんかんぬん」という長いタイトル、Bというラノベは「カタカナ・ワールド」というスタイリッシュなカタカナ語タイトルだとします。
この時点で、「Aはラブコメっぽくて、Bはファンタジー的かな」という想像ができます。

そこで実際に形態素を解析して、Aでは「学校」、Bでは「剣」という単語が多く出てくることがわかったり、Aのようにタイトルに「彼女」を含んでいる作品では「好き・恋愛・愛情」という語が目立つが、Bのように「カタカナ」のみで構成されるタイトルの作品では戦闘に関連する語が頻出することがわかったり……などなど、そういったことがわかるのが形態素解析です。


今まで誰も見たことのないデータ、という意味で、できることは色々とあるのですが、テキストデータを用意することがとにかく大変なのが今回の統計。
裁断→取り込みまでは業者にお願いしたのですが、読みとりソフトを使ってテキスト取り込み→細かい誤字を修正する、という作業に明け暮れています。

気分転換がてら、何冊かやった時点での解析などもしていて、おもしろい結果が見えそうというのはわかっているので、ちまちま続けつつ冬コミ発表に備えようと思います。

そんなこんなで。またあした。
posted by 牧田 翠 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Kindle参戦を目指して

アマゾンのKindleストアが公開となっています。様々な電子書籍が並んでいてなかなか興味深い市場ですね。
ここに自分の同人誌…エロマンガ統計シリーズを発表してみたいと思っています。まだよく調べていないため同人誌を発表することが難しいかもしれませんが、調べてみる価値はあると思っています。
今のところエロマンガ統計Rとエロマンガ統計S、アニメエロ統計、ライトノベル統計を出したいと思っています。

ただ、Kindleストアで出版するためには、ファイルの形式をePUBなどの形式に変換しなければならないようです。そのあたりで色々と難しいかもしれませんが、コミックマーケットまでに用意できればいいなと思います。紙の書籍の良さはあると思いますが、電子書籍の手軽さはやはり便利なものだと思います。

遠くの地方の方でも手に入りやすいですし、買うまでのタイムラグがないですし、多くの人に作品を読んでもらうためには必要ではないかなと思います。

そんなこんなで挑戦は続きます。また目処が立ったら報告したいと思います。
またあした。
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2012年10月27日

ゲームという努力の形

最近、PSO2をプレイしています。
オンラインゲームはMHFに続き二作目なのですが、順調にハマっています。

この手のキャラクターを強くしていくゲームは良くも悪くも、終わりのないゲームです。モンスターと戦ってキャラクターの装備をそろえる、時には課金して珍しい装備を手に入れる、他人とは違うカスタマイズをして自分だけのキャラを作る、プレイヤー自身の知識や操作スキルを磨いていくことも含めて「成長」していくのですが、そこに完成系はありません。
その時点での最適解はあっても、ゲーム自体のアップデートでさらに強力な敵が現れるために、刻々と変化していきます。


……こうしたゲームがヒットする原因を色々と考えているのですが、ひとつに、努力が報われるから、努力が分かりやすい形で手にはいるから、という側面はあると考えました。
「モンハン竜の逆鱗」が1%の確率で手に入るというレアアイテムだとしても、試行回数を100回、200回と繰り返せば必ず手に入ります。
対して、現実だと、たとえば絵を上手くするために100回、200回と描けば上手くはなるでしょうが、どれくらいうまくなるかわかりません。
目標が具体的に設定されていると人間は頑張れるといういい例ですね。しかも大目標(モンスターを倒す)、中目標(モンスターを倒せる装備を作成する)、小目標(装備の素材を集める)と、ステップごとにわかりやすい努力目標を設定されているのは、デザインとして洗練されていると感じています。

そういった意味で、目標の可視化の重要性をゲームから教わっています。
……だからゲームやってもいいよね!などと言い訳しつつ。
またあした。
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2012年10月26日

飲酒運転なう

遠隔操作ウィルスで、自白強要が話題になっています。
警察が日常的に自白強要を迫っていて、そして証拠が少なくとも「犯人しか知り得ない情報」を自白した「犯人」に仕立てあげられてしまうことが、誰の目にも明らかになった事件でした。


これだから警察は……と嘆き、よりよい警察組織を作るために監査をしたり、批判していくのも大切なことではありますが、まずはもっと身近なところから考えてみましょう。
そもそも、罪を許さず、罰するという意識が強いからこそ、警察も逮捕に燃えているのだと思っています。


わかりやすい例で言えばワイドショーでの殺人事件報道。殺人事件で「犯人」が逮捕されると、その生い立ちや人間関係、性的な指向やその他色々と語られ、こいつはこんなに非道な人間だ、と報道が過熱することがあります。
そして、視聴者はそれを見て、正義感に燃え、そんな異常な犯人を生み出した家庭に正義の鉄槌を下すべく行動を開始します。悪の家族に対して、武器を持って立ち上がり、平和を守る戦士となるのです。


ここにあるのは強烈な「罰」の意識。和を乱した人間には罰が与えられて当然、という考えが根底にあると思います。法律論から言えば、罰は法定刑のみで十分に与えられることであり、私人の間での刑……リンチは禁止されているはずなのですが、日本ではリンチが常態と化しています。なぜリンチが禁止されているかというと、それは恣意的で、公平らしさに欠けるからです。
極端な例ですが、誰かを殺して捕まっても報道がなされない人物と、執拗に報道がされる人物とでは、社会復帰に対して、大きな難易度の差がでることでしょう。


もちろん、罰せられるべき罪というのは多くありますが、その罪は公平らしさを保ったものでなければならないはずです。同じ理由、同じ状況で罪を犯したとするなら、罰は同じでなければなりません。まったく同じ状況というのはあり得ないとしても、できるだけ公平にしないといけません。たとえば、殺人の罪で問われるとしても、私のような同人屋を殺した場合も、国民的アイドルを殺した場合も同じ「殺人罪」として問われるべきでしょう。


しかし、おそらく、国民的アイドルが殺されたら、それは一大ニュースになるでしょう。そこで社会から罰せられると、それだけ不利な取り扱いとなるのです。そこに公平らしさ、という視点はいっさいありません。


実は、こういった私刑……リンチの事例はインターネット上でも日常茶飯事です。「飲酒運転なう」に対してバイトをやめさせる、学校を辞めさせるなど、そういった動きがあります。それは飲酒運転をする奴をのさばらせておけない、という意味で、ある種の正義感が働いているからだと考えられます。
これらの正義感、罰を与えたいという感覚が、根底にあるからこそ、警察も同様に動くのでしょう。ある意味、市民の期待通りに「悪人」を捕まえて、日夜、罰してくれるわけです。


他人の良くない噂を聞き、しかもその人の行動によって自身が痛い目を見た、罰せられた、というのは暗い悦びを与えてくれるエンターテイメントです。
浮気した人間を徹底的に攻撃して泣かせた、会社の中で使えないうえに開き直っている奴を辞めさせた、犯罪自慢しているバカを警察に通報した、自分の気に入らないことを書いた有名人のブログを炎上させた、などなど、「正義の行動」についての言説はネット上でも散在しています。


警察の逮捕、自白強要は、それとなんら変わらないと思っています。一度犯人と決めつけたら、あらを探してすべての経歴や行動をチェックする、微かな矛盾も見逃さずに追求、少しでも犯罪と結びつくことを言ったら燃料キターと炎上させる、そして自白がとれたら「また勝ってしまった……敗北を知りたい」と勝ち誇るのでしょう


警察に市民感覚がないのではなく、警察は極めて市民感覚にあふれた組織だと思っています。そういった意味で、今回の問題からは自己反省の教訓を得たいと思います。

「誰かのこと、悪と決めつけていい気になってない?」と。



またあした。
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2012年10月25日

電池寿命

iPhoneさんがほぼ電池的にやばいです。
私の使っているのは4世代前の3GS。最近、充電が60%残っていても強制終了してローバッテリーの表示が出ていたりします。

電池寿命だなぁ、とは思うのですが、こういった製品の電池寿命はやはり恐ろしく早いなぁ、という実感があります。
毎日のように大量消費して、充電しているせいなのでしょうね。バッテリーが持たないというのは個人的にストレスを感じてしまうポイントなので、乾電池駆動でも数日以上は持つポメラとか大好きです。

……と、そんな私なので、Kindleの電子インク版を予約してみました。


いつ届くのかなぁ……などと思いつつ、発売に思いをはせてみます。
そして予約してあるiPhone5もいつ入荷するのか……ぐぬぬぬぬ、しつつ。

またあした。
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2012年10月24日

電子書籍の不便さ

電子書籍で何冊か本を買いました。
ToLOVEるだけではなく、小説やら、ビジネス書やら、何冊か買いました。
そこに不満はない……というか、本自体の扱いの楽さに感動しているくらいですが、電子書籍の不便さを感じています。
より正確に言うならば、これはインターネットショッピング全般の不便差なのですが。


普段、本屋に行って、とりあえず新刊コーナーとか、雑誌コーナーとか見て回って、欲しい本がないかチェックするのが日常のイベントになっている私です。
全然関わりのないジャンルとか、新書コーナーでタイトルでおっと思わせる本だとか、そういうのが好きでよく衝動買いしています。
でも電子書籍だと、それができないのですよね。

Amazonなどを利用されたことのある方はわかると思いますが、理想の本を探すことについては便利でも、知らない本を見て回る、というところについてはインターネットショッピングは向いていません。おすすめの本、なんかがあったとしても、それを見るためにクリックをせねばならず、クリックしたところで中身を確認するためにはさらにサンプル掲載されているか確認したり、評判のレビューを呼んだり……と、なかなか忙しい作業があります。

そう考えると、本屋のシステムは非常に素晴らしいと思っています。
だって、そこに行きさえすれば、色々な本が並んでいてタイトルだけ流し見ることができるし、中身を確認するにも手間がかかりません。
以上の機能を持つことから、まだ本屋はなくならない、とも思います。
……ただ、ベストセラーだけを並べているような小さな本屋に価値が薄くなり、大型書店ばかりになることは予想できますが。


そして、電子書籍時代を考えていくと、真面目に「紹介ビジネス」が成り立つと思います。
私も、インターネットで本を買うときは誰かのおすすめだったり、どこかのブログさんで紹介されていたりする本だったりします。
これをどうにかビジネスにまで成立できたら……などと夢見ます。
なかなか難しい部分はありますが、挑戦する価値がありそうなので誰かやってください。

そんなこんなで。またあした。
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2012年10月23日

電子エロ書籍

電子書籍デビューしました。


SONYのReaderアプリを使って本を買いました。

とはいっても、今までも『自炊』して読んだ経験はあるのですが、買ったのは初めてでした。
もちろん、買ったのはエロ関係。そして私が人生の中で最も読み込んだマンガ作品、ToLOVEるの、ダークネスの、カラー版です。

…はい、モノクロ版からどうみてもエロマンガだった作品がカラーとなって生まれ変わって、どうみてもエロゲです。

カラー乳首とか、カラー割れ目とか、なかなか際どいです。
しかし、これで通常のものより少しだけ高い480円というのが恐ろしいところ。
電子書籍はこれからの市場とはいえ、エロ関係は特にビジュアル重視なのでカラー化の波が来そうで…でもそうなると作家さんが大変になりそうだな、などと不安になったりもしました。

もう少ししっかりねっとり読み込んだらまた感想など書きたいかなと思います。
とりあえず今日はこのあたりで。
またあした。
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2012年10月21日

余白

今日は久しぶりの休みで、何も予定を入れずにのんびりしていました。

時に立ち止まってゆっくりしないと、脳がオーバーヒートするので、今日は更新もいいわけ程度で終わりにしておきます。

またあした。

posted by 牧田 翠 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

食べられるフォヌカポォ

今朝、NHKの二ユース深読みの特集で「若者の言葉」について取り上げていました。時間の関係で途中までしか見られなかったのですが、少し思ったことを書きます。

考えたいと思ったのは、ら抜き言葉についてです。
例えば「食べれる」はら抜き言葉で、本来は「食べられる」が正しい、ということになっています。
でも、ら抜き言葉も、文法的に考えて正しい部分があるんじゃないか、と思っています。


国語文法的に考えると、「食べる」という言葉は下一段活用です。「食べる」の未然形「食べ」と、可能・尊敬・受身・自発を表す助動詞の「れる・られる」が接続することにより、「食べ+られる」が完成します。

対して、「走る」と「走れる」の関係で考えると、こちらは別の動詞になります。「走れる」は、いわゆる可能動詞というもので、「走る」が五段活用、「走れる」は下一段活用です。国語文法的には可能動詞が作れるものは五段動詞のみです。「読む・読める」「飛ぶ・飛べる」「書く・書ける」はいずれも五段動詞と可能動詞の組み合わせです。
ちなみに「走る」に対して助動詞「れる・られる」を接続すると「走ら+れる」となります。

しかし、この「走られる」では、助動詞「れる・られる」の機能のうち、可能の意味では用いません。

受身「ライバルに走られてしまった。」
尊敬「師匠が走られた。」

という形で使います。なお、走られるの上で「自発」だといい例が思いつきませんでした。例えば他の動詞「思い出す」に対して「思い出さ+れる」だと「ふるさとのことが自然に思い出される」などの用法があります。


その上で、これを可能に使うとおかしくなるので、可能動詞を使うのです。

れる・られる「100mを10秒で走られる選手」
可能動詞「100mを10秒で走れる選手」

さて、ら抜き言葉に戻りましょう。
ら抜き言葉とされる「食べれる」は、下一段動詞を無理矢理に可能動詞化したものと考えられます。そのため、ら抜き言葉はもっぱら可能の意味で用いられます。
そして、助動詞「れる・られる」がついた時は可能・尊敬・受身・自発のうち、可能の意味以外で用いていると思います。

「プリキュアが食べられる(性的な意味で)」という例文を考えてみましょう。
これの主語はなんでしょうか?

一つはプリキュアが主語になり、「プリキュアが・食べられてしまう(性的な意味で)」という受身の文ですね。被害を受けている、という文です。

もう一つは拙者が主語になるパターンです。「拙者は、プリキュアのことを・性的な意味で・食べることができるでござるフォヌカポォ」という文です。



では、「プリキュア食べれないとかありえな〜い!」ではどうでしょうか。
こちらでは、ら抜き言葉を使っています。主語を考えると、ここでは「貴殿は」が適切でしょう。つまり、「貴殿はプリキュアを食べることができないとは、どういうことでござるかデュブフォ!」と、可能の意味でとれる文になります。
こちらの文では、受身の意味をとることができないので、助動詞を使った文よりも、誤解を生むことがない優れた文かもしれません。


こうして考えてみると、ら抜き言葉は、助動詞「れる・られる」の意味、可能・尊敬・受身・自発と、多彩にとれる言葉を少しでも限定して、伝わりやすくするために、可能を表す言葉として使われているのでしょう。
伝達の効率を上げる、誤解を防ぐという視点で考えると、五段動詞以外の可能動詞化……ら抜き言葉は、合理的な言葉であると考えることができます。


正しい日本語という絶対の基準は存在しないと思っています。
旧字体+旧かな遣いで表記するのが正しい日本語と言うのだ!という主張も存在しています。歴史的に考えると、ら抜き言葉に眉をしかめる人たちが想定する「正しい日本語」よりもさらに古いため、いわば「正しすぎる日本語」とでも呼べるものです。でも、それが正しい日本語だから使いなさい、という人は滅多にいないでしょう。

私の知っている人のなかに「すごい」人がいます。
曰く、すごいという言葉は「凄まじい」であり、「程度が甚だしいほどに酷い」という意味だと主張しています。そのため、「すごい台風」や「すごく悪いテストの点数」という使い方は問題なくとも、「すぐ美味しい、すごく美味しい」という使い方は間違っていると言うのです。だから程度がかけ離れていることを表現したいなら「すこぶる」を使うべきだと。だから「すぐ美味しい、すこぶる美味しい」と表現するべきだと言っていました。


アホかと。


これを聞いた時に「すごい」と思いました。おそらく、変化を認められない人なのでしょう。私には、「すごく美味しい」で通じなかった経験はありません。

変化の中にあって、使われてこその言葉なので、唯一「正しさ」があるとすれば、相手に伝わるかどうかだと思っています。
また先日の「自分語」の話にもつながってきますが、伝わらない言葉を使うのはただの自己満足です。

こういった背景まで考えてみると、ら抜き言葉は正しく伝えよう、れる・られるの曖昧な意味を少しでも減らして、相手に自分の意図をしっかり伝えよう、という創意工夫された言葉だと、私は考えます。
そのため、ら抜き言葉は「正しい日本語」と言えるのではないでしょうか。

以上、調べている最中に「しゃべれる」は、ら抜き言葉ではないことに驚いた翠でした。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月20日

さぁ、能動態ムだ

最近、こうしてブログで文章を書くようになっていますが、私が文章を書く時に少しだけ気を使っていることがあります。
それは、「私」を主語にすること、つまり、能動態で書くことです。


能動態と受動態。日本に住んでいる人がこの言葉を認識するのは、おそらく中学三年生の頃です。そう、英語の授業でbe動詞+過去分詞で受動態を表すということを習うときです。
受動態とは、My brother likes a cat.を、A cat is liked by my brother.とするような文法です。
中学生の頃、なんでこんな言い回しをするんだろう、と不思議に思っていたのですが、受動態は英語において主語を曖昧にしたい時に使われると聞きました。
例えば、The dice is thrown.だったら、誰が投げたかは曖昧でよくて、投げられたサイコロに注目しろ、というメッセージとして解釈すればいいらしいです。中学生的な文章の書き換えで「by 人」をつける訓練を受けた記憶がありますが、実用英語の点から考えると、この訓練はあまり意味のないものなのかな、と感じています。

そして、日本語では、英語よりもさらに曖昧にしたい表現が多くあります。そもそも、英語では必ず主語を明らかにしていかなければならないのですが、日本語では主語は省略される傾向にあります。


例えば、次の文章の主語はなんでしょう?



「スマイルプリキュアの中ではキュアビューティが好きです。」




これの主語は……「キュアビューティが」……ではないですね。
述語が「好きです」となるので、好きですと考える主体が主語となります。そのため、主語は省略された「私は」になります。
こうして、日常的に主語が省略される日本語において、さらに受動態にして主体をわかりにくくしているのが、いわゆる論文の分野です。
例えば、「こういった言い回しが日本語では多く見られる。これは日本人が主語を曖昧にし、言葉を柔らかくするために使用していると考えられる。」というような表現です。


確かに、私も統計同人ではよく使っています。いました。
「〜というように考えられる」や「〜と推測される」という表現、多く使ってしまいました。
もちろん、文脈から判断して、それ以外にない、という場合はあるとは思っていますが、でも、受動態の文章は読者が主語を補わなければならないので、わかりにくい部分が大きくなると感じています。
それに、自分を主語としていないので、意識的・無意識的な責任逃れ、という部分もあるでしょう。「私が考えたんじゃないですよ?データから考えられるでしょう?」というところもあるでしょう。


統計同人は「ゆるめの統計エンターテイメント」を自称しているため、もっと読みやすく、もっとわかりやすくを心がけていきたいと思っています。そのためには、統計数字的な部分のみに注力するのではなく、日本語表現についても改めていきたいと思っています。


「自分語」を減らしたり、説明するようにしたりもそうですし、主語を明らかにしていくこと、主張の脱線などが無いようにしていくことも自分の中での課題だと思っています。良くも悪くも「ノリ」で文章を書いてしまう癖があり、まだまだ練られていない表現が多くあります。


そのためにも、まずはこうして、能動態で文章を書こう、と意識しています。うまくいかないこともあるかもしれませんが、努力宣言だけはしておきます。
よろしくお願いします。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

バベルの塔に住んでいる超能力少年

こんにちは。コミニケーションとか言われるともにょもにょする翠です。
今日はカタカナ語をはじめとした「自分語」の話。

カタカナ語を会話の中に織り交ぜて、それについて「え、なに、そんな言葉も知らないの?」という顔をしてくる人が苦手です。
ノマドワーキングとか、ソーシャルコミュニケーションとかミーシーとかフィッシュボーンとかランチェスターストラテジーとか……確かにビジネス書にはよく出てきますけど、それを「常識」であるかのように振る舞うのは、知識を自慢しているようでいて、会話力のなさを露呈しているようなものだと思っています。

こういった自分勝手な言葉の使い方は困りますね。
ただ、自覚的に自慢している人はまだいいと思います。指摘すれば話し合いに持ち込むことは可能ですし。
それ以上に無自覚のうちに「自分用語」で話している人の対処は大変です。それが他人の耳に入ったときにどう聞こえるのか、どういう理解をされるのかについて考えていない、というパターンが困ります。

例えば、うちの営業さんはよく「顧客に顔を売れ!」と言っています。確かに「顔を売る」は「広く世間に知られる」という意味なので、文脈的には理解できます。でも私の言語感覚からするとズレている気がします。
つまり、顔以外に売る商品があるだろうと。確かに信頼関係を築く一歩として認知してもらうのはいいんですが、どうも「売る」という言葉にコミュニケーションの深さを感じられず、むしろ安売りしている感覚、浅く広くのイメージがあるのですよ。
一度、そのことを営業さんに聞いてみても「……そうかなー?ずっとこれだから違和感ないわー」とつれない反応でしたが。とりあえず、私が顧客だったら、商品を「売る」と言われても微妙な気分になるのに、顔なんて売られたくない!と思うよ、ということだけ伝えておきました。

つまり、言葉というのは受け取り手のことを常に考えていかないといけない道具だということを主張したいのです。それには言葉が伝わるもの、という前提を持たない方がいいと思っています。要するに、言葉は伝わらないという前提にたち、伝わっていたとしても、それは伝わっているという勘違いか、良くてもたまたま偶然の産物である、という考えを持つ、ということです。
だから、同じことを何度も言い換えて、比喩を使い、具体例を使い、要約し……という形で多方面のことにわかってもらおうとしなければならないと思っています。
ホント、中学生くらいの時分には現代文の課題で「なんで筆者は同じこと何度も言ってるんだめんどくせ」と思っていましたが、主張は具体例や言い換えなどがあって初めて理解してもらえるものばかりだということは、文章を書くようになってから痛感したことですね。日本の国語教育は、「筆者の気持ち」とかどうでもいいので、自らの主張をするたの言い換えの技術なんかをしっかり教えるべきだと思います。

話を戻しまして。

バベルの塔で統一言語を失って、言葉が伝わらないのは、当然!と思うことにして、他人に説明をするときには、言葉を尽くしましょう、という話ですね。
私にも無自覚のうちに使ってしまっている文章の癖やら、他人と理解を共有していない語法があると思います。

例えば「脱ぎかけがエロい」という主張をしていますが、何を持って脱ぎかけとするのか、エロいとはどういうことなのか、定義しつつ他人と共有していかないと、本当に伝わったか心配になります。
今でも十分に伝わっているかというと不安になるので、何度も何度も何度も繰り返していくことで不安を薄めようと必死なのです。

そういった意味で、ずっと不安でいたくないから、「伝わった」ということにしてしまうのでしょう。
何かを語るときに、一度、「これは自分語ではないか」と不安になり、その不安と戦いながら言葉を繰っていければと思います。
みなさまもぜひ、一緒に不安になりましょう。

……と言いつつ、この記事自体がだいぶ自分語で書かれていないか不安に思いつつ。
またあした。
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2012年10月18日

将来の夢

今日は将来の夢を考えました。
というのも、職場で来年のことについて考える機会があったからです。うちの会社では例年、上司との面談で次の年のキャリアについて面談なんかしたりするんですか、今年もこの季節がやって来ました。

正直 これからどうしようか迷っています。僕はね 正義の味方になりたかったんだ、などという大それた将来の夢はないものの、統計同人誌づくりは続けてい行きたいなーとおもっています。
そうなると 今の仕事のままでは時間が足りないなーとも思っています。
仕事の内容も嫌いではないし、人間関係も悪くはないんですけれども、何せ時間がないというのが問題だと思っています。
脱サラして 同人誌一本で生活するには、ぶっちゃけ売上が足りません。


じゃあどうするかというと考えた時に なかなかいい考えはできません。将来の夢 というところで悩むのは大変ですね。小学生の語る将来の夢と違って自分に責任持たなくてはいけないですしね。

とりあえず悩んでおきます。
またあした。
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2012年10月17日

重いパーツを まくらにしたら深呼吸 ロボになる

今更ですがプリキュアの「ロボニナール」を見ました。
最近、日曜が出勤でリアルタイムで見られないのが最大の痛みです。
パロディがしっかりと描かれ、話題独占!という感じになっていたようですね。

しかし、丸々一話使って勇者ロボを描いた「迷い猫オーバーラン」の7話の時は否定意見も聞いたのですが、プリキュアは評価されている、という印象です。
これはやはり「枠」を守っているからでしょうね。

あくまで「プリキュアという枠」を意識して作っているからこそ、必殺技はいつものロイヤルレインボーバーストですし、やよいというオタク気味キャラの暴走という形で描いていくことで、無理なく導入できているというのも大きいと思います。

カレー屋に入ってカレーうどんがでてきたら許せても、天ぷらうどんが出てきたらそれは違う、という形で、最低限「守らなければならない枠」というのはあるのでしょう。

多くのパロディ的作品のある昨今ですが、その許容度は「何を芯として持っているのか」というところにかかってくるのだと実感しました。

そんなこんなで。またあした。
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2012年10月16日

ガンガンロンパ

しばらく前、オスプレイの話題を出したときに「データだけ出しても感情は動かない」という話をしましたが、今日も似たようなことを感じたので。

職場に新しいバイトの方が入ったのですが、同業他社でバイトをしていたらしく、何かと「前のところでは」と言ったり、「そんなのはおかしい」とか「自分はこういうつもりでやった」ということを言う方なのですよ。
こちらが指示してもストレートに聞いてくれることがないですし、議論をふっかけてくるにしては、論理的な材料も用意されていないので、論破されてあげることもできず、扱いに困っています。


で、なんでそんなことを言うのか考えていたのですが、論破したい、勝ちたいという姿勢があるのではないかな、と思いました。
おそらく、議論で徹底的に潰された経験があったりとか、言い訳をしなければならないという教育を受けてきたりとか、そういった形で「論破されるか、されないか」という基準でコミュニケーションをとってしまうのでしょうね。

確かにビジネスの世界では、そういった部分も必要ですが、感情を納得させられるだけのコミュニケーション力が必要だと思いました。

これからの「統計屋」としての活動についても、誰かの論破を目指さずにいこうと思います。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

ブルマ派?スパッツ派?

あなたはブルマ派ですか?スパッツ派ですか?

ブルマは既に絶滅種。エロゲやAVでとか見ない衣装ではありますが、パンツと変わらない露出度でムチムチの太ももが見える衣装です。

対するスパッツは、いくつかのスポーツ種目で見ることができる衣装。ピチピチと太ももを締め付けつつも、健康的なイメージを演出する衣装です。

……と、本題はそこではありません。

今回は「型」の思考について。
先に提示されると、それに沿った思考を展開し、それ以上に考えが及ばなくなる、という特徴です。

たとえば、スク水派やセーラー服派、女騎士派に裸エプロン派と、好きな衣装については多くの派閥がありますが、「ブルマとスパッツのどちら?」と聞かれると、そちらに思考が引っ張られ、どちらかを選ばなければいけないような気になります。

心理学的なテクニックとして紹介されることもあります。
「何を食べたい?」と聞くのではなく「寿司とカレーのどっちを食べたい?」と聞くことで寿司とカレーのどちらかに誘導したり、「デートしてくれる?」と聞くのではなく「水族館と動物園とどっちに行きたい?」と聞くことでデートを断る選択肢をなくしたり、など、思考を型にはめるには選択肢を提示する、というのは有効な方法のようです。


さて、これがブルマかスパッツか、という選択だったら、大きな問題には発展しづらいですが、「○○という政策に賛成か、反対か」「○○党か、××党か」など、他の選択を奪う問いかけは世の中を単純化していく方法だと感じます。また、「おまえは俺の味方か、敵か」というのもありますね。
二分化、二極化していくと、確かに分かりやすくなりますが、そのほかの選択肢や、細かな差異などを捨ててしまうことにもなります。

卑近な例に戻して考えると「セーラー服とブレザーのどちらがいい?」という選択肢を提示する時は、セーラー服カテゴリー内の差異を捨ててしまってもいます。冬服か夏服か、黒か紺か白か、襟の形や色は、スカーフの色は……などなど、セーラー服と言っても様々な形があるのに、それを捨ててしまうことにもなります。

そういった意味で最初の「ブルマ派かスパッツ派か」という質問は暴力的ですらある質問だと思います。


だって……スパッツと言っても丈の長さとかあるじゃないですか!その差異を無視するだなんてとんでもない!
……などと強引にオチをつけたところで。またあした。
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2012年10月14日

習慣化に対する敵

ブログつけよう月間は続行中ですが、色々な事情が重なり、更新しづらいという日も出てくるとは思います。
とりあえず、今回はアリバイ的に短い更新ですが、こうして続けないと「一度休んだんだしいいだろ」という思いが芽生えてしまいます。

そういった意味では、人間の「完全主義」性を利用しているのです。全部揃ってないと気持ち悪い、なにがなんでもやらないと!と。
……すると、完全主義が思考を停止してしまう!中途半端最高!という自分の主張とは、なんとも矛盾した感じになっています。自分でも興味深いですね。

色々と思考プロセスがねじ曲がっているのはわかっているのですが、どういった完全主義を認めて、どういった完全主義を認めないのか、細かく検証してその差異を見つけてみたくなりました。
完全主義を完全主義的に排除するというのも極端だし、まぁいいかとは思わなくもないのですが、思考してみるのは楽しそうです。
個人的に好きな言葉は、昔、高校の先輩に言われた「鵜呑みにするな、といった自分の言葉を鵜呑みにするな」です。今考えても、メタ認知入っていて、深い言葉です。

とりあえず今回は自分の思考プロセスのきっかけを捕まえたと言うことで。
またあした。
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2012年10月13日

嫉妬は誉めて倒せ

生活保護を受けていると1日に1000円しか使えない、たばこも吸えない、寿司を食べると非難されるかもとドキドキする、などということが話題になっています。


今回は生活保護について、その制度的な問題点ではなく、それを攻撃する心理と、それを解消する方法について考えてみました。


生活保護叩きの根っこはどこにあるのか考えると、生活保護されることで得られるお金と、ふつうに働いて得られるお金の差が少ないことが問題なのだと思います。
つまり「俺は必死に働いているのに、こいつらは働かずに俺と同じ給料を得ているからムカつく」という思考プロセスを経て、そんな環境を自分も欲しい、という嫉妬の対象になることが原因なのでしょう。経済的なコストだけでなく、時間的なコストについても同じで、「俺には時間がないのに、こいつらは自由な時間があってムカつく」という心理が働いていると考えられます。


たとえば生活保護で月に10万円得ている人がいるとしましょう。もう一方で毎日働いて月に手取り13万円の給料を得ている人がいるとしましょう。そうなると、「え?俺が必死に働いても月に3万円くらいの価値しかないってこと?」と、「私の給料安すぎ……?」状態に陥ることが推測できます。この場合、額の多寡が問題なのではなく、評価してもらえるかどうかが問題になっていると考えられます。給料が月収100万円であっても、生活保護で95万円が支給されているとしたら、同様に嫉妬することでしょう。


この、差が少ない、という状態を解消するために、とりあえず二つの方法が思いつきました。
一つは生活保護費を下げろと主張すること。たとえば先ほどの例で生活保護費が月に3万円になったとしたら、差が大きくなり、自分の労働に価値を見いだすことが可能になることでしょう。
もう一つの方法としては、自分の給料を上げろ、と主張することです。


二つの方法のうち、自分もハッピーになれるのは明らかに自分の給料を上げろと主張する方ですが、それには自分の身近な上司や取締役と折衝しなければならず、労力も時間も必要です。余計なトラブルが起こるくらいなら、今の給料のままでもいい、と思う人は少なくないでしょう。
それに比べれば、見ず知らずの他人を非難する方が、精神的コスト的に楽ですね。


生活保護の方々を非難したところで、特にメリットはないと思います。もちろん、今の制度が最良であるとは思っていませんが、それでも生活保護の制度はセーフティネット、安全のための命綱なのです。
自分が大けがや病気をして働けなくなり、収入が見込めなくなったとしても、お金なんて受け取らない!と言い切れる人はいないでしょう。おそらく、そんな可能性を考慮していないだけだと思います。

それでも嫉妬せずにはいられない、でも自分のリアルに影響するような折衝などできない、ということで、生活保護叩きに走るのではないかと思います。


これを解決するためには、主に二つの軸から考えました。
一つは賃金に対して妥協しないこと。労働の安売りをしないこと。サービス労働は自分に不利益なだけではなく、「あいつもやってるんだから、おまえもやれ」という同調圧力にも使われてしまうというところでしょう。自分もついついしてしまうのですが、サービス労働はやんわりと断るようにしていけば、少しずつ社会がよくなることでしょぅ。

もう一つは、周囲の労働に対して評価を与えることです。
先ほど、生活保護と労働の差が少ないことが嫉妬を生むと言いましたが、労働に対して賃金以外の価値を提供できれば、嫉妬は少なくなることでしょう。
ちょっとのことでいいと思います。誉めていきましょう。
仕事ぶりを誉めていけば、労働に対する意欲もわきますし、いいことが多いでしょう。
誉め言葉を見つけるための時間的コストはすぐに回収できるでしょう。(個人的には「誉め言葉ハンドブック」をおすすめいたします。)


もちろん、私を誉めてもいいのですよ?

……そんなこんなで。またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

無駄無駄無駄無駄ァ!

今日は脳が疲れました。なので、思いつきをダラダラと。


処理する情報量が多いと、本当にオーバーフローになりますね。今日は仕事でミスを連発してしまったのですが、自分でもタスクを抱えすぎていたために起こったと思っています。
適度に外部へと逃がしていかないと、すぐにメールで電話で予期もしない仕事が舞い込んできてしまいます。

現代社会は、一人が処理するべき量が加速度的に増えている社会であると考えています。それをどうにか処理するために長時間労働をしますが、それを繰り返す度に、その仕事量が当然になってしまいさらに新しい仕事が舞い込んでくるという悪循環。それを乗り越えるために「ライフハック術」やら「ノマドワーキング」やらで対応するようになっても同じことでしょう。

一方では、仕事がない、働き口がない、と喘ぐ社会でもあります。仕事がないので雇ってもらえない、雇ってもらえないから職歴がない、職歴がないから雇ってもらえない、という悪循環。

こういった「働いて死ぬか、働かずに死ぬか」という選択肢の惨さに涙が止まりません。
もちろん、社会にはホワイト企業も多くあるのですが、なかなかそれが当然にならないというのもわかります。
経営者側としては、高い人件費を削減できるもの、として考えたくもなるでしょう。めぐりめぐって、社会全体の消費が冷え込むことはわかっていても、個々の戦局では人件費を「節約」した方が得だからです。

こういった社会をよくするためには、資本主義のこの世では、お金を動かすしかありません。経済が動けば、お金が色々な人に行き渡り、お金が渡ればまた次の人へ周り……という形で動くからです。全員がいっせーのせ、でお金を使えば経済がよくなることはわかっているのですが、修学旅行で好きな女子の名前を言う行為よろしく「……んだよ、おまえ言えよ!」状態になることは必至でしょう。

……つまり、率先して経済を動かしていかなくてはならないのだろうと思います。
ほんの少しだけでもいいでしょう。多くの力が積み重なれば、いつか世界を変える力へとなっていくでしょう。
この無駄遣いが明日を変えることを信じて……!(牧田翠先生の次回作にご期待ください)

そんなこんなで、無駄遣いするための言い訳を延々としていました。
またあした。
posted by 牧田 翠 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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